痩せたように見えるのだそうな

1年前からは結局わずかに2kg落ちただけなんだけど、中年期に入り顔がこけていっているため、このところ、客から同僚から「痩せた」と言われ。
もはや、家から横断歩道の存在を無視すれば徒歩30秒で着けるジムには週に1度通うのがせいいっぱいなのだが、運動による見た目の変化は大きいという事なのか。
確かに、手持ちのボトムスがことごとく、ベルトがないとずり落ちる。


年若い同僚さんに「体重落とさなくてもそれだけ見た目で効果があるなら(あくまで他人事風)、みんなでジム通えばいいのに」と言ってみたら、きっぱりと「面倒くさいです」と返答された。いや、予想の範囲の回答ではありましたがね。
んー。オレにすれば、ジム費用デイタイム会員なら月額7千円前後の相場は、リバウンドの恐怖や副作用の恐怖、何より、食欲が落ちてものが食べられなくなるなんていう、とんでもない痩せ薬(食べたいものを食べなくて何のための人生だ)よりもはるかに安価だと思うのだが。
通えば、機械が水流マシンが勝手に運動させてくれるところが大いにあるしな。


しかしそも、オレは体重が60kgある自分が嫌いではなくて、体重を落とす事にはさほどのこだわりはなく、衰えて行く体力への恐怖に突き動かされてジムに通うに至ったので、人様から言われる見た目の効果はおまけのようなものなんだが。
しかし、痩せるという事はそんなにいい事なんだろうか?


痩せればもっと稼げるとか高級店に行けるからと皆が痩せ薬を飲んでいるが、一時的にはその痩せ薬で痩身に成功する者はいても、その効果と来たらまったく持続性がない。皆それを見ているだろうに、体験しただろうに、どうして皆であの類に次々とチャレンジするのか。
スレンダーな身体を保っている人達は、確かに基礎代謝のような資質に恵まれている人もいるのだろうけど、たいていが大いに活動したり食物の摂取を日頃からコントロールしている。(それがきっちりできないというか、はっきり「やりたくない」オレは、痩せる事には憧れないのである。「ある程度太い」というのが自分のアイデンティティに組み込まれているしな)


オレは「○○さえあれば、○○しさえすれば変わる人生」というものを信じていない。というか、誰の人生だってそんな簡単なもんじゃなかろう。
そういや、かつて結婚の配偶の相手が別居後に会ったらその「○○しさえすれば」を口にして呆然としたっけな。ああ本当にオレ等って最初から駄目だったんじゃん! と。
ただまぁ、確かに、「太い」から「太め」を経由して「若干太め」まで来ると、フリー客との遭遇率は高くはなるよな、うん。
…ああ、だからオレあんな事言わないで、皆が痩せ薬を飲んでいるのを応援しないと駄目なのか(笑)


あー、それより何よりオレが気になってるのは、自分で肯定できない自分のあり方をそのままほったらかしにしている割に、若い娘達が不機嫌に「店があまりにひどい待遇差をつけている」とやたら口にしている昨今の店の様子、なんだろうな。
いや、オレだってかつては店からの扱われ方に文句は言わなかったし言えなかったけど、自分が肯定できない自分のあり方をどうにもできなかった、というのは一緒ではあるが。
…つらつら考えるに、突然強烈に鬱の朝なんてのもまだたまに来るけど、このところのオレは年々何かを捨てられたりもして少しずつ楽になって来ているのだろうか。


また人生に加えさせてもらってとても良かったものは、そりゃもう「猫」に決まっているのだが。彼らは捨て去る事の達人だったなそういや。