しかし、一方的に否定はしてくれるな

なるほど、ファビョってると言われたのか(笑)


昼間から息子が狂乱しているので困る。息子も、オレのネット風評は見ると疲れるから見るのはやめなさい。前にも言ったけど。
そもオレ、万人に愛される芸風じゃないんだから。
もうめんどくさいから、お前のためにブログ消去とか更新停止とかは、オレやんないよ。そこまで保護してやるべき年じゃないんだし。


さて。
すいませーん、「ファビョってる」とご指摘の筋は、昔ニフティの会議室あたりでオレがもろ小馬鹿にした態度とっちゃった方とかですかー。だとしたらその節は失礼しました。まだ若かったもんで。四十がいい加減近くなって来た今も、まだそこいらへんスクエアなまんまなんですが。
それとも、やっぱり大昔、オフ会なんかでオレが色気こかれて、「気持ち悪いなぁ、お呼びじゃねぇよ」って口には出さなくてもやっぱり態度に出しちゃった方とかですかー。それとも、「あ。ハズレ」ってやり捨てた向きかな。
それもすいませんでしたー。バカがつく正直、愚直ってやつですね、なもんで。


いや、確かにあの頃はお転婆こきましたがね、本当に手当たり次第って訳じゃなかったんですよ。少なくとも「バカ」は自分がそうなんで、相手にしませんでした。うんざりじゃないですか。あなたがオレに対してそうであると言うように。ねぇ?


いや、こういういらない混ぜっ返しはホントにやめときなさいよ、自分も(苦笑)


へい、たしかにオレはあの当時、オレの留守中、娘が焼き肉屋のレジからこっそり持ち帰ったマッチで、菓子缶の中に紙を突っ込んで火遊びしていた形跡を見た時、娘の顔にでっかい痣ができるようなぶん殴り方をしました。あまりの恐怖に。
この子はこんなで世間に適応できるはずがない、という恐怖、それから、いつかオレはこういう形で自分の子供を失ってしまうのだ、という恐怖。まだもっとあったけど。


それで、翌日娘の顔にあざができているのを見た学校から連絡が来た時、仕事していて応対できず、そのまま2人の子供を一時保護センターに連れて行かれましたともさ。
で、子供達がうちに戻って来たのは、虐待の疑いがなくなったせいなんですがね。それで、ここに至ってもうちの連中、うちでオレと暮らしてるんです。
で、皆さん、児童相談所は有能ってことにしたいの? 無能ってことにしたいの?
いやまぁ、あの時に娘の顔面ぶん殴ったのも虐待と言われたらそうでありましょう。
だけど、オレはあの体験から「ああ、この役所にはとにかく、ほとんどのシリアスな状況にある子供と、その子供がいる家庭を助ける事はできないんだ」っていう、絶望を得たよ。


しかし、「虐待の疑い」がひっこめられても何かはずっと言われ続けるんだから、こりゃ結構なスティグマだなぁ。1度「疑い」をかけられて、「それはなかった」ってひっこめられたんだから、異議申し立てくらいするよ。普通。
でも、しちゃ駄目なんだ。それはオレがソープ嬢だから? 1度でも子供を殴ったから?
それで、オレを揶揄する君等、オレの子供に対してじゃなくていいよ。キミ等、自分のすぐ近くにいる子供達に、何ができる? 何してる? 何をしてやる覚悟がある?
百歩譲って、実際娘をぶん殴ったしまった自分自身について責められたり揶揄されるのはしょうがないけど、うちの子供達が継続的に虐待連れ続けていると受け取られるような記述はやめて欲しいもんだ。それは彼らに失礼だから。あと、オレが金を調達する手段を云々されるのも、お断りだ。
勤勉に風俗嬢続けるのがどれだけ難しいかも知らんと。


その後長じたうちの連中、「おかあさんになんら手助けしなかった連中が、また母の職業性をあげつらって、なおかつ親不適格だと言い続けている」というのを、ネットで見れちゃうんだよ。誰も助けてくれないから、いまだに吉原にオレがいるんじゃんねぇ。そこあげつらうの、本末転倒。
ホント頼むよ。息子が冗談ででも火炎放射器手にしたいとか言い出しちゃうんだよ。「ええ確かにその通り、自分、サノバビッチですが何か」とか、モニターに向かって言い出しちゃうんだよ。
「ああっ、これ以上不登校OBが事件起こしたら駄目だ!」って言って思いとどまってくれてるからいいようなもんだけど。


で、話を戻そう。
子供達を連れて行かれた戸山団地近くの児童相談所のセンターで、専属なのか顧問なのかの精神科の女医さんから、確かに当時の娘も未だに脳波が大多数の子供のようなものではなく、自閉は間違い無しで、注意欠陥も今回の行動が裏付けるようにあるだろうと認められた上で、「これまで楽しくやって来たとお子さん達も貴女も言っているが、私はそうは思わない。あなた方が笑っているのは現実逃避だ」ってなことを言われた、と。これには、オレは一生涯怒り続ける。
「つまり、お前等の状況なら笑っていられるはずがないんだから、もっと深刻な顔して暮らせとおっしゃるんで? そんなんまっぴらごめんだから抵抗のために笑って暮らそうとしてるんじゃん」と、オレは呆れ返った。
これも、呆れ返っちゃ駄目なのかねぇ…。
絶望の中にいろって言われたら、そりゃ笑い続けて抵抗するしかないよ。そんなんは理不尽なんだから。状況がシリアスならシリアスなほど、結局、笑うよ。無抵抗になったら本当のおしまいなんだから。
笑ってたから、今も笑おうとするからうちの一家はサバイブしてんだよ。


それだけの事を言う児童相談所が、では実際なにをしてくれたかと言うと、実態として父親からは遺棄されているうちの子供達がいたんだけど、その父親から養育費を取り立てる事もできず、すんなり離婚できるような手伝いもできない、と。
当然、オレ達が居住している区の役所に掛け合って母子世帯が受けられる手当を受けられるよう助力してくれる事もなく、その他、子供達が家で継続して生活できるようにするための実際的な助力はいっさい、提供できないのだと。それらは児童相談所に権限がない事だから、と。


では、あなた達にはなにができるのかと問うてみたら、「そちらにお金はいっさいかかりませんから、(「正しい」環境で、「正しく」子供達を養育できる状況をこちらが自力で整えるまで)お子さん達を預かることはできますよ」と。あとは、カウンセリングに来ませんか、だと。(で、それは前述の通りの内容)
あとは、オレの母を実家から呼んで、母の資力について問うてくれましたな。
…とにかく、子供との暮らしにも第一に金が必要なのはあちらさんとて分かってるんだけど、それはとことん「自助」で調達してもらって、それが駄目なら、いきなり「お金がかかって大変だからこっちで子供預かるよ」って言われて、呆れるのは駄目、なんだ? オレはあれ、呆れないと駄目だと思う。
いや、子供に関する問題を一手に引き受けろと言われてるのに、この実態としての力のなさは、現場で働いてる職員さん達もたまらんだろうなと思うけどね。
ああ、担当の児童福祉司があっという間に交代になった時、新しい担当さんが「靴べらにでもお使いください」と軽口叩いて名刺渡して来たのも、不愉快な思い出の一つだな。


子供達は一時保護センターの職員から。最初に「ここは家よりもずっといいところで、このままずっとここにいたいってみんなが言うんだよ」と言われて、実際に見たものは例の「ハンカツ」であり、子供達に遠回しに「どうせもう帰れないんだから」と言う職員であり、「お前等にはこれだって上等すぎるはずだ」という雰囲気満々で与えられる各種待遇であった、と。
これで、つくづくと絶望しないでいられるほどは、オレもおめでたくなかったよ。
何より、自分の無力を一番責めたし、それは今でもそうなんだけどね。


そこは当時のオレはものすごく間違えてしまっていたんだけど、そこまではとにかく、娘が健常な、正常な子供と同等に扱われるようになること、彼女をそのようにすることに必死だった。その必死の負の総決算が、娘ぶん殴って児童相談所に連れて行かれてしまった顛末だった。
あれは、娘に本当に悪い事をした。楽天ブログの初期のほうにもこのへん書いたけど。巻き込まれた息子も、その後あらゆる公的なものに絶望してしまったりして、娘に対して同様に迷惑をかけた。(んで、彼はそこから不登校
だから、世間に対してはなんら申し訳なくないけど(当たり前)、子供達にはつくづくと謝った。


家に帰って娘の火遊びの痕跡を見たときに自分に去来したありとあらゆる絶望や戦慄や無力感ってのは、人に説明したってしょうがないものだと思う。あの時そこに座り尽くしたオレにしか分かり得ない事だから。
でも、当時のうちの背景、手抜きして説明すんなよー。言及するならきっちりやれよー。


子供達が家に戻って来てからは、オレはしょせん自分が無力である事を痛感した。
仕事時間を短縮して出勤時間もずらして、収入をちょっと犠牲にして子供達と夕飯を食べられるようにした。それでも指名や収入が安定するように四苦八苦して、最近やっと安定したと言えるところまでもってきた。


娘がいかにペーパーテストの出来が良くても、それに釣り合う「学校に都合が良い子」である事を学校から求められても、それは娘がどうやったってできないんだから、そうさせようとはしなくなった。当たり前の事なんだけど、あれから、オレはようやくまともに娘を守ろうとするようになったらしい。
注意するとしてもせいぜい「音頭取りはできなくていいから、みんなが頑張ってるときは君もできる限りは手伝いなさいよ」くらいを言い、家庭生活の中で「各人の協力がないと集団は集団として成り立たない」というのを、理屈ではなく体感になるようにしたくらいで。(で、それは、「オレが1人で頑張りすぎない」ということでもあったと)


オレが今の仕事で稼いで来る金が家族のどのへんにどう使われているかは、せんだってのエントリーの家計簿でも見てもらえば、で。
ただ金をかけるのが愛情じゃないけど、彼らがやりたいと言ってオレがやらせてやれるだけのことは、必死でやらせるようにしてる。無力なりにオレが必死でやり続けている事は、否定してくれるな。
それは、うちの子供達の名誉のためにも言っておく。


これは、皮肉にもかつての夫がまだとんでもなく幼かったうちの連中に対して言った事でもあるのだが*1、うちの子供達はそれでも、オレを「選んで」オレのところにいてくれているのだ。
外野が、何も知らないのにオレ達の事をどうのこうの言うな。
うちに来て流しの皿の1枚も洗ったのなら、何か言ってもいいが。

*1:別居後、旧夫に会って「子供達の養育にまったく関わらないつもりか」と尋ねたところ、あちらさん、「子供達はそっちを選んだんだから、選ばれなかった自分は何もしてやるつもりがない」と言ったのだ。あれがファミレスのボックス席じゃなかったら、オレは呆れ返るままうしろに転倒してたぞ。ちなみにその償いのように、今に至るまで旧義父母はなにくれになく援助やらお祝いやらを包んでくれる。旧夫は「あいつはあいつの実家からずっと助けてもらってるんだ」と言い回っているらしいが、違うよ助けてくれてるのはチミの実家だよ。うちの実家には宵越しの金は残らないんだから。家風として。