この職業に於ける身の処し方というかなんというか

「キミ等をボクの仕事場に連れて行って仕事を見せる訳にも行かないので、これがどういう仕事かはまぁ、オレのありようから考えてちょうだい」と、かつて子供達に言った。
うちの業界、気に入らない事は多々あるが。何が一番気に入らないかって、しばしばソープ嬢自身が誰よりもソープ嬢の事を蔑んでいるのが、気に入らなくて気に入らなくてしょうがない。
それだから、こっちを蔑んでる客が来て憂さ晴らしの道具に使おうとした時、必要な抵抗も反撃もできゃしないのだ。


一定レベル以上の「仕事」はする。そのかわり、太い客だろうと細い客だろうとおかまい無しで、自分がされて嫌な事は拒絶するし、その気もないのに思わせぶりはしない。こっちは基本的に気のいいおねえさんでいたいと思ってんだから、そのようにさせといてちょうだい。オレがされたら嫌な事ってのは、ごくあたりまえな事ばっかりよ。
これが、ここ数年自分がお客に明確にする事にしている、自分のスタンスである。
この至って当たり前な事が、この業界では「ワガママ」の部類に入るという。


この仕事を続けるにあたって、最大の譲歩あるいは妥協、そして悔恨であるのが、ノースキン接客への転向ってやつだ。
こっちに転向したという一点で、オレはもう自分にできる最大限の譲歩をあらかじめしちゃってるんだから、あとはもうほとんど譲歩できるとこなんてないのよ。とも、時々必要があれば顧客にははっきり伝えている。
まぁ、こんなんだから店での順位はだいたい真ん中をさまよっていると。


ものすごくたくさん仕事が来たところで、家に帰って家事雑事をこなす気力体力が残ってないのは困るから、仕事の量はだいたいここ数年の平均的なあたりで構わない。夏場の稼ぎ時なんか、実際しばしば体力の限界を超えてしまう。なぜか、まだまだその程度には仕事がある。
オレは家に帰ってやりたい事そしてやるべき事がされなりにあるのだから、仕事だけで燃え尽きてしまうわけにはいかない。オレ等の実質が自営業者であるっていうんなら、そのへんの裁量も自分次第のはず。


自分の場合、ここいらへんを明確にしたら、何故か収入全体はアップしてしまったのだった。ノースキン転向前、客に合わせるのが苦痛でしょうがない部分を仕方なく合わせてもどうにもならなくなっていた頃は、いったいなんだったのか。
まぁ、それくらいの逆転力がノースキン接客にあるのは事実、なのかも知れないが。しかしオレ、「コンドーム、着けます?」って訊いて「どうしようかなぁ…」って躊躇する初対面の客には「じゃあ、つけましょうね」とにっこりやり続けてもいるんだよね。
「つけましょうね」って言った途端「つけなくてもいいんだよね?」と言い出しやがる客の多さには呆れ返るよ。本当に。だったら最初から「つけたくない」と言え。その方がよっぽど話がスムーズだ。


さて。あるうららかなお客の来店も少ない9月の昼下がり、2人のスキン接客の同僚さんがフォースの暗黒面丸出しの話をしていた。
どちらの同僚さんも、自分が無理を押してやりたくない事をやって持ち出し的な営業や接客でのサービスを行っているのに、店はその自分達の頑張りにちっとも報いてない、と訴えていた。
控え室でしたところで、それはどうなのよって話である。
話が会話当事者それぞれの頑張りぶりに終始しているならまだしも、ついには、他の女子が自分達に比べて如何に努力していないか、辛い思いをせずに楽やズルをしているかに及んでしまい、狭い控え室のすぐ横で大声でそんな話をされていた「無理をしないオレ」は大いに困惑していたのであった。


吉原にあって、スキン接客でちゃんと食べて行けるというのは、ものすごい勲章だ。
スキン接客は、やり方として正しい。あり方として正しい。しかし、困った事にもはや若くもなく飛び抜けた美貌の持ち主でもないオレは、スキン接客のままでは勲章は持っているとしても、それだけでは食べて行けない。それがとことん身にしみてしまったから、オレはものすごい葛藤の上でノースキンに転向した。
今でも正直、そこんところに多大な葛藤がある。
どんなに太い顧客でも、客としては好意的であっても、ノースキンで接客させるご仁の事は人間として好いてないかなとすら。まぁ、それでも彼らの前で「気のいいおねえさん」ではありたいんだけどね。せっかく遊びに来てくれてんだし。


しかし、スキンという問題だけは、幾ら仕事の正味を頑張っても、理屈をこね回しても、営業を頑張っても、吉原という歓楽街がそもこのサービスでかろうじて踏みとどまって存在している現実がある。
勲章を選んであとのことは仕方なしとするか、勲章はあきらめて食えて稼げる事をとるか、日本で最も有名なインビジブル売春の現場は、大半の女子に選択を迫る。
かつておつきあいしていた元風呂屋の店長氏も、これははっきり言った。「誰かが茶をひきそうだとか、義理風呂入ってくれって言われた時、やっぱりスキン接客よりノースキンの子を応援したくなるのが人情ってもんでな」と。
まだその頃の自分はスキン接客だったので、かなりこたえた言葉だったが「それが男性スタッフ側の現場の感情で、正義なんだな」というのは身にしみた。


女子に対するフリーのつき方はタイミングの問題もあるが、店、いいや男性スタッフにとっての使い勝手の良し悪しもある。もちろん、男性スタッフと女子間の、働く同僚としての感情も影響する。
使い勝手とは、たとえば彼らが懇意にしているお客を紹介してくれた時、我々はそのお客に一定レベル以上の満足を与えなければならないのだが、自分の顧客として抱え込もうとしてもいけない、と、そういう感じの話だったりする。彼らにも彼らの営業成績があったりするもんで、お客を取り上げてはいけないのだ。
そして、男性スタッフにもの申すときは、本当に必要な場面で最低限の物言いに留めなければならず、これはどの職場でも同じように、彼らの立場やキャパに相当の配慮を払わなければならない。
そこんとこに前述2人の同僚さんが配慮しているかどうかを顧みるに、うーん、であった。頑張りがマイナスに作用する場面というのは、こういうところにもある。
自分の意地の張りどころや頑張りに対する報酬は、ほぼ完全歩合制である風俗業界においてですら、収入ではなく自分自身がそれを承認してやるかどうかにかかっている。報われ方というものを収入や指名の本数だけで見ると、自分が蝕まれる。
特に「他人がどうこう」が気になった途端、それは顕著だ。
「自分の納得と誇りという勲章ひとつきりでいい」と納得できないなら、より稼げる条件に移行するより他はない。納得できないところを職場で大声で愚痴れば愚痴るほど、明らかに収入は減る。
でもね、オレ不親切だから、こんなこた滅多に同業の人には話さないの。


それでも、オレ自身「ノースキン転向はそりゃ大きいファクターだけど、それをしても大きい変化が起きなかった人はたくさんいたわけで、なんで今のオレはとりあえず食って行けてるんだろう?」と首を傾げているところも、大いにある。
なんとなくアニミズムだが、オレは吉原の街とこの仕事が結構好きなので、この土地のルールのようなものに従ったところへ、どうも「何か」が報いてくれている気がしなくもない。
実際、冒頭でぼやいた「この仕事にあって誰よりもこの仕事を蔑んでいる女子」は、ここまで見て来て、必ずやこの仕事から復讐される。「こんな仕事なんだから、我慢して我慢して我慢しなきゃいけない」は、我慢してる本人すら得しないよ。これは間違いない。


いろいろ気に入らない点やら自分自身に抱えた矛盾もあるが、この仕事で稼ぎだすと決めた費用とてまだ幾つもあるし、どこまで吉原の街が自分を受け入れて自分もここを好きでいられるかという行く末も見たいし、ええ、まだまだ自分なりの意地と最大限の譲歩でもって、この仕事を続けますとも。まだまだ。