割に合う、将来ある仕事って何だろう

そんなこんなで贅沢な話であるが、このところややオーバーワーク気味である。
さすがに帰宅すると全身がたぎしなので、しばしば2人の子供等に計30分くらい背中やら腰やらをぶっ叩いてもらったり、マッサージしてもらったりする。自分が彼らの多少の不調ならそれで解決してやって来ているので、彼らもその効能とやり方はだいたい心得ている。セルフマッサージもよくやる。


そんな我が家で、結構前のある夜、娘さんがオレの背中を叩きながら「なかなか、割に合う仕事というのはないものですなぁ」とあまりにしみじみ言ったので、吹き出してしまった。
吹き出したあとで、こちらもしみじみしてしまった。
もし娘さんが将来、現在の自分と同じ売女業に就くと言ったら、心配はするが反対もしなかろう自分。
しかし、こんなことを言ってしまう彼女は、多分この仕事に就く事はないだろう。この仕事に対して軽蔑もしていないがことさら賞賛もせず憧れてもいない娘、分かってないところも多々あるだろうが、押さえるツボは押さえているかも知れない。


まーね。プロスポーツ業界あたりによく似た感じであるよ、うちの業界。
ここにいる期間の長短を問わず、仕事の上であるいは稼いだ金で望んだ何事かを達成できるのはごく少数。危険は数限りなく、世間的からは現役でいられるのもごく短期間の「将来がない仕事」と見なされている。
(現役寿命に関する現実はってぇと、サイドバーのグラフ見てもらえば分かるように、今年39才になるこれだけ凡庸な売女でも、まだこのくらいの稼ぎはどうにかできちゃったりはする。現役寿命、意外と長そう。そして、年齢に関しても、まだ幸い自分がお客から屈辱的な扱いを受けた事はない)


もっとも。あんまりに売女業が「将来がない」と言われるので、逆に「ならば、将来が確かに連綿と続く仕事ってなんだ?」と考えてしまう事がよくある。
実は自分、両親とも資格職で、まだ健在な母はとうに年金支給年齢に突入してもいまだほぼフルタイムで仕事を続けていたりする。なるほど、そういう年齢になってもまだ現役張れる仕事は「将来性があった」のかも知れない。
それでも、考えれば考えるほどピンと来ない「仕事についての将来のあるなし」問題ではある。
このへん、今の状況がどうでも、しょせん長閑な地方で周囲からは「お嬢さん育ち」と見なされるような境遇にいた自分の呑気さもあるかも知れないのだが。