結局、いろんなものがどうでもいいんだな

仕事場で同僚さんと話していて、ともにB専というか「つきあう相手の顔は割とどうでもいい」派を自称している同僚さんが、「それでも、見ているだけならば奇麗な男の方がいい」と言ったのに驚愕したオレであった。


えーと、オレ、男女問わず品性の問題はかなり云々してしまいますが、顔の造作って言うのは、本当にものすごくどうでもいいんですはい。近年ますます。
しかし、これはつまり、全般的に他人に関心が薄いっていうか、ないってことなんだろうなうん。
他人の顔なんか、ほとんど見てないんだようん。まぁ、世間相場としてこれはいいのか悪いのかくらいの値踏みはするけど、自分としてはどうかというと、どうでもいい。
相手のありようを見て、相手の顔がそれにどう影響しているか、というのは時々考えるけど。


そこいらへんはさすがに自分、うちの娘さんの親だな。
花の美しさなら関心があるけど、そう深くも関わらないというか、自分がもうそうは深く関われない他人様の顔は、云々したってしょうがないから云々しない。人の顔よりは花の顔の方にずっと関心がある。


これ、寂しい人間であるんだろうなぁふ、そうは思うけど、それでオレ自身はあんまり寂しくも悲しくもないというか、いよいよそのようだしなぁ。


そんなことを、都立高校一般受験日につき学校が休みだった娘さんとともに湯島天神の梅を愛でながら、ふっと考えた本日。
雨に濡れた梅の枝は、まさに墨で描いたもののようでありましたよ。