成績を上げるノートの作り方、というのがある

特に、古文と英語のノート作成方法は縦書きか横書きかという違いだけでほぼ同一なのだが、娘さんが行く高校から例として示されたノートの作り方が、オレが知っているそれとまったく変わっていないのには笑った。


うちの連中はまだ実践してくれてないが、実際これは高校からやりゃいい事だが、ノートの左右の行をあけて本文を清書。片側の行には訳、片側の行には文法解析や熟語への注、それからノート下段なり右端を区切って、単語の意味やちょっとした脚注の書き取りなどをする。


20年の長きに渡りそれが変わってなかったというか、スタンダードになっていたのか。ふーん。


これは娘にも言ったが、「勉強」でやる事というのは、決まっているのだ。
定期試験で、受験で点数を取れる奴のやり方というのは、もう随分昔から固まっていて、変わっていない。
やり方とやる事は決まっているからこそ、日によっては学校が提唱する学習時間(最低でも「学年の数プラス1時間」とか言っていたが)を下回る事もあるし、上回る事もある。
よって、学校の提唱する毎日の家庭学習時間とやらは無意味であり、問題はスケジュールを立てる能力や、場合によってはどんどん先に進みたいのを我慢して、とことん身体が憶えるまで反復をやる気の長さを特にこの1年で作らなきゃならんよ。などと、オレは親であるので、自分がかつてそれを全然やってなくても娘に言うのであった。


オレは十代をてれてれとあるいはガスガスと遊び暮らし、同時にバイトにつまり金稼ぎに明け暮れ、勉強の方法は知っていてもやらないままたどり着いたところを「よし」としたが、お前はそれを「よし」としないと言うのなら、お前は勉強というものをやるしかないのだが、それでいいのか、とも訊いた。
で、うちの娘さんは、やるんだそうだ。勉強。
まー、それがべつだんオレへのアンチテーゼになるわけじゃない、というのをあらかじめ体感してるあたり、やっぱり賢いのかもな、この人は。