ちなみに現在、性嫌悪はあるかと訊かれたら

「ああ、こいつ合うな」とか、「時間かかるかもしんないけど、なんとかなるかもしんないから、『すごくいいからお尻が動いちゃうの』ってなフリしてちょっと場所だの角度だのずらして調整かけて、集中力フルにして頑張ってみましょうかね。いい奴だから」とかいう場合は仕事でもいってるわけだし、そのことについては大変にからっと考えているので、なくなってるんだろーなーと。
(まぁ、すごく疲れるんだけどね)


逆説的に、変な抑圧とか自分が汚れてる感がないせいで、そういうものへの執着なり逃避なりのための恋愛と性の対象ならもういらんわ、になってるフシもある。
さらに現在、家事労働と金銭管理を中心とした家庭内事務の奴隷状態で、おまけにちょくちょく通院している持病持ちで、「今さらにそういう事にエネルギー使うのは、ちょっと…」ってな判断が働いていたりもする。


恋愛が絡んだ方が、なんせオーガズムは脳の中で起きる事だからセックスが気持ちいいのは間違いないんだけど、かつて食べた美味いものをまた食べたいと思うようにはそれをまた欲しいとは思わない、っていうのは、たまに我ながら不思議に思いはする。


で、現在の仕事は嫌いではないし、活きの良いマグロ客が来ると、どっちかと言えばタチ素養の方が強くて「さぁ、どうして欲しいの。どうしちゃおうか」的性質の自分、結構楽しんではいるよな。
なのに、自分がオーガズムに達するのは、楽しんでるっていうよりも、ただひたすらに「疲労困憊覚悟の出血大サービス」のていだけど。
いけるけど、もういこうがいけまいがどうでもいいと言うか、いくと疲れるんだよね、ただそれだけ。「ああこのあとそのまま仕事続いたら、ちときついな。頑張るリピ客だったら上手く誤魔化さないとな」とか考えたり。


「出す事は僕にはもうどうでもいいのよ」と洒脱に言う顧客のTNじいちゃんの気持ちはわからんでもない。
オレはもはや添い寝の相手には時々猫がいればじゅうぶんだが、彼は猫がいないから、店に来てくれるんだろうなぁ。