オレは「見る」事にまず疲れ、そして「見られる」事に飽きた

何故私的生活で恋愛とセックスからここまで退却してるかって、まぁ、これだ。


対象となる相手を見るってのは、どうしたって不躾なもんだから、まして自分に向かって「好きだ」と言って来た相手に再三不躾に脅かされて来たりもろ被害受けた経験なんぞがあると、つい「この目線は、この気分は、加害的なんじゃないか?」と考えている自分がいる、と。
この内省は、どうしようもなくやっちゃうんだけど、疲れる。
で、疲れるけど相手を見る事もまたどうしようもなくやっちゃう、というところにまでもはや至れないくらいに疲れてしまった。


しかし、仕事でもしょっちゅう起きるんだけど、その場のノリというかたとえば客がそれを口にする事でただ自分が気持ちよくなるためだけに言ってる「好き」でも、言われるとなんでオレはああも気持ち悪くなるのかねぇ。(「これは恋愛の中のセックスだ」っていうファンタジー、お客の皆さん好きだよな…。というか、恋愛が伴うセックス以外への罪悪感無駄に強いっていうか)

ある時、これまたどうしようもない事態として、見られる事そして好きだと言われる事によって自分がとてつもなく気持ちが悪くなる事を発見してしまったんだけど、売春の場ではこれ、言われたところで「まず金ありきの時間限定契約関係で、それ言ってもなんにもなんないよ」と最後には言えるから、気持ち悪いけどまだなんとか。
ともあれ「ああ、オレ『好き』と言われるとホントにどうしようもなく気持ち悪くなるのか」と気が付いてしまって得たのは、まぁ、絶望だよなぁ。


新しい顔見せ写真、友人から「なんかスゲー」と言ってもらえたんだけど、売り物としての自分は、これらの疲労やら絶望を得てからの方がよりタフに売る事ができるようになっていて、このへん、考えれば考えるほど「わー、やな話だね」といつも笑ってしまう。
仕事以外の場面で、もうオレに好きだのなんだの言う相手を最後に殴り倒す羽目になるのには、たいがい疲れてしまった。
しかし、いつぞ「私はもう誰が相手でも、セックスをしたいとは思えなくなってしまいました」ときっぱり言い渡す羽目になってしまったおじさんの見せた落胆の顔は、今後も繰り返し申し訳なく思い出すのであろうよ。