「音楽なければ人生なし」

などと、タワレコの壁に大きく書かれていたり。
まーね、と呟きつつ、あやうくレジ前にいたLinton Kwesi Johnsonの"Bass Culture"にひっかかりそうになりながら、今日はこれだけを買った。(ダブにはもう手を出すまいと決めたはずなのに、ああ、苦しい…)

はっきりもっと勇敢になって

はっきりもっと勇敢になって

いやいや、とにかくお帰りなさいだオカムラ


で、オカムラ新曲感想の前に。
タワレコに置かれた音楽雑誌を見て軽く驚愕。まだアリーナ37℃、続いてたんだなぁ。高校時代の友人の愛読誌だった。
それから、自分がまだロッキンオン・ジャパンに出て来るようなあーちすとの歌を聴いているのに、娘もまたかの雑誌に取り上げられるようなあーちすとの歌を聴いているという事実に気が付いて目眩。
20年前、もう17才か自分。20年前の今頃って何やってたってすぐに思い出せるようん。


わけわかんないバルーンスカートにオデコ靴はいて、黒タイツでまだオリーブ少女の残党もやってて、大中の豚革トランク持って東海道線乗って代官山だの恵比寿だの渋谷だのうろついてたり、夜はまだ下品になる前のボディコン着て(のちの「プリコン」に近かったのだよね原始ボディコンは)こっちの友人とですこ行ったりして、明け方男友達に送ってもらったり、知らない男とホテル行ってみたりして、気が付けばサービスタイムに突入した平日の朝の10時のラブホテルでなんとなーくその旧知だったり知り合ったばっかりだったりのにいちゃんとマリオゴルフやってたりしたのが、1987年秋のオレでしたよ。
ちゃんと学校に間に合うように親が起きる前に帰宅する事もあったけど、車持ってる旧知のにいちゃんに近所の大型スーパーの駐車場まで送ってもらった早朝、「ああ、秋の明け方ってこんなにとんでもなく冷えるんだ」って驚愕したっけな。
(その節は、隣県住まいとはいえ1県またいで送ってくれてありがとう>Tちゃん)


ああ、あとあの年のマイブームは広瀬隆だ「危険な話」!
そのあとで「億万長者はハリウッドを殺す」あたりを読んで「ああっ、あやうくユダヤ陰謀論に引き込まれて騙されるところだった!」とか叫んでたんだな。
高校は当然、毎年出席が足りなくて追認補講と追認試験で進級。特に月曜に授業があった教科の出席状況が悲惨だった。あと土曜。まだ学校は週に6日あった時代なのに、自主的3連休とかそれ以上とか年中やらかして。
で、定期テストと業者模試の結果の差は、今のうちの娘どころの話ではなく。


とにかく、なんだかよくわからないトータリティの無さだったわな、秋以降、いっぺんとことん混沌としてみたしな。
なにもかもに対して手当り次第であったわな。
このへん、子供達に「まぁ、アタマの悪い十代終末期の始まりだったよ」と話した事があるけど、引いていた。うん、引いた君等は正しい。
で、うちの連中は当然、十代のオレの行動をトレースしていない。なにより。


ああまでの外まではみ出す混沌はもうとっくに終わってるんだけど、さすがにあの頃の手当たり次第感はないんだけど、呆れるくらいコアなところの自分は変わってなくて、なんだかいまだに自分でもよくわからないんだけど、いまだ基本的には怒ってるんだよなぁ…。「それは何に?」としょっちゅう考えるようになったのがようやくこの12年くらいか。何にって、未だによく分からないままだなそういや。


17才になった秋から19才の夏までの2年は、オレの中でひとつながりの時期だったりする。途中で受験とか卒業とか東京都下への移転とかいろいろあったけど、そのへんのイベントは自分にとってあまり大きな意味はなかったような。
ともあれ、オカムラはくだんのアリーナ37℃を読んでいた友人から十代最後の年に紹介されて、よりによって「靖幸」から真面目に聴き込んだのだった。


「なんだこのプリンスにちょっとジョージ・マイケル足してファンク割り増しで突っ込んで童謡とブラバン部風味被せたような楽曲は」とびっくりして、しばらくひたすら聴き込んでた。珍しく洋楽そっちのけで。
いや、もしあの頃までに殿下やそれ以前のファンクの先人の音楽を聴いてなかったら、普通に「なにこの人、この音楽、気持ち悪い…」で終わったのかもしれないけど。
「ファンクでエロは普通で王道だけど、ファンクで青春をやってるよこの人。正気じゃないよ。すげえよ!」と感心してしまったのよね、オレ…。


カルアミルクの「ファミコンやって ディスコに行って 知らない女の子とレンタルのビデオ見てる」の歌詞を聴いた時オレはもはや二十歳で子供がいたりしたが、ついこの間まで手元にあった自分の心もとなさだの手持ち無沙汰さがそのまま彼の歌詞に重なってしまった。
知らない、あるいは知ってる男の子とラブホの一室でファミコンやってたあの時間、まったく楽しくなかった訳じゃないんだけど。


で、今回の新曲。
単なる更生ソングになってなくてホントに良かった。
冒頭のストリングスから元気のいいイントロに移行する時、90年代冒頭の最高に格好良かったオカムラのライヴ姿の幻が見えた気すらした。
ホントに評判通り、ある程度の声量と抜けのある高音が戻って来たか。
「青春・童謡・ブラバン風味・ストリングス」で帰って来たねぇオカムラ。楽曲はものすごい佳曲ではないけど、それでもここしばらくの混迷がようやく終われたんなら十分だ。


いまどきの言葉で言うなら、多分オカムラもオレも彼のファンのたいがいも、終わらない「厨2病患者」とかいうものの類いなのであろうよ。
そこから脱却できない事についてはなんともだが、いやまぁ、とにかく彼もオレも中年期に入ってもいまだこんなままでも、生きてるようん。それだけは、悪い事ではなかろ。
オレはまだ岡村靖幸を聴き続けるんだなぁ…。