猫がいなくなったのとまた別の

悲しみのような不安感のようなものが、ずっとはるかに前から自分の中にあったのだけど。
本日、このところ月の最後の休みの恒例になっているように家賃を振り込み、息子のオルタナティヴスクールの会費を振り込みしながら、ああ、オレ随分と「この先もひたすら自分でやっていくしかなくて、今後も自分と子供達以外のもろもろも抱え込む」ということについては、腹が括れて来たのだなぁと。
そして、腹が括れて来たらだいぶ不安は薄れて来た。でないと、新しい猫を迎えようとしたりもしないか。


猫のような、「自分から抱えたが最後、病気になろうが何が起きようが公的補助いっさいなし」という動物をもう一度抱えてみたのは、オレの場合は良かったのかもしれない。
また彼ら猫というか、いなくなった飼い猫のとらちゃんの生きる姿勢から教えられた事も多かったのだよな。
彼最大のオレへのメッセージは「おかあさん、もっと休みなさいよ」だったけど、彼がそうやって養生させてくれたおかげで、オレここんところ結構調子が良かったんだよな。少なくとも、入院とかまたステロイド処方とか免疫抑制剤使用レベルまでは悪くしなかった。(肝機能数値は下降しつつあるものの、まだ何がどうなってるのか判然とせず、ようやくウルソが出たっきり手も打たれずだけど。とりあえずウルソで下がって来てるからいいかと…)


健康への不安はどうしてもあるけど、あれくらい家の中でだらだらと休んでも生活はどうにか回って行って、身体が動いてそれなりに精勤できれば、自分は自分と子供達の暮らしをきっちり経済的にも立てて行けるって事が分かった。
ここで健康に不安がある猫を抱えても、最先端で最高の医療を受けたとは言えないけれど、彼の負担をできるだけ取り除けるように手を尽くす程度の経済力もなんとか、あった。


まぁね、とらちゃん。この先またオレの仕事も変わるんだろうけど、それがなんであれ収入がどうあれ、君等の種族がいてくれると本当に助かるから、多分もうこの先はずっと猫と暮らすよ、うん。
猫と暮らすと、オレ、いろいろ楽になるみたいだから。