自分が「サラリーマン風俗嬢」であるゆえん

全身にスクラブをかけつつ、ソイエで脱毛しつつ、毎回呆然とするのは「このオートエロティシズムの欠如はどういうことなんだ自分」である。
隣で伸びてる猫の方が、なんぼか自分の身体のしなやかさについてうっとりさんでいられているよな。


ついぞ自分が分からないままでいることが、オートエロティシズムというものである。何かしらそういう「自分にうっとりさん」な女性というものを作らないと男は欲情できないんだろうなぁと思って一生懸命やってみた時期もあるのだが、分からないまま必死で「こういうのか? こういう感じにやるとそれっぽいか?」と試行錯誤してみたが、かなり前にガス切れしてしまった。


「快適」はあるのだが、あくまでそれは「快適」であって、アロマ系の入浴剤や化粧品の匂いを嗅ぐのはいい気分だが、その香りがついた自分がちょっといいものになったような気分というのは自分にははなから欠如しているらしい。
岡崎京子のマンガに、はじめてフレグランスを付けた女の子の「自分が少しいいものになった気がした」という感じのモノローグがあって、「ああ、普通の女の人達のうっとりっていうのはこういう感じで発生するのか」と納得したが、それは納得できただけでそれは我がものにはなってなかったんだよなーと、脱毛機を全身に使い終わって「やれやれ、やっと終わった」とぐったりしつつオレは思うのだった。


そう。それらはいつでもオレに取っては「やれやれ。終了」であり、単純にかつての交際相手達や客達へのサービスのためだけのものであり、オレ自身の喜びはそこにはないのだ。
オレはまったくやる気になれないダイエットというものに他の女子が頑張っているのは、結局自分の身体がより細く変容すればより自分にうっとりできるであろうというオートエロティシズムの仕組みが身に付いてるからなんだろうなぁ。


オレ自身の喜びってのは、あー、この頃いよいよ健全な1人遊びだけだねぇとZO-3弾きながら痛感した本日である。