さて今回も「難病患者であるオレ」シリーズです

リンクを貼ってくださった同病の方のサイトを読ませていただいていたら、オレの郷里静岡県には「ベーチェット病を診られる病院が2カ所しかない」とのお話が。
しかも、オレの実家は伊豆と東部の境界あたりにあるんだけど、診られる病院は静岡市とさらに遠い西部って…。


母(医療関係者)からも「こっちに来ると病院に困る事になるよ」と再三言われているし、いやそりゃまぁそうだろうな、んでもってまだ当面実家周辺に戻る予定はないよと思っているけど。
…んー。


母がもっとはっきり老いたら、いやその兆候が見えたら、そりゃしょうがねぇよな帰るかなと、今までオレは自分の持病を棚上げして考えていたんだけど。
…どうも仕事についてはまだ当面今の仕事で稼ぐ必要があるし、いちおう消化管が炎症を起こしたり出血するという自分の症状、前にもあったみたいにもしまたいきなりどわっと悪くなる時も来るとしたら、…あー、やっぱり、郷里に戻るってのは考えもん、になっちゃうのか。


まだもう一段「普段の状態」が底上げされないと、たとえば、「平熱」が37度2分であるとか、ちょっと疲れたり冷えたり蒸されたりすると発熱して関節もみしみし痛むとか、根を詰める日々が続くと紅斑だの陰部潰瘍が出現するとか、そういうのが年中繰り返されてて、そこで慌てて養生してみて本格的病人になる前に踏みとどまれているような現状よりもう一段まし、つまり、微熱がたまに出るくらいまで良くなってくれないと、オレも怖いけどオレの周囲も怖いよなそりゃ。


ソープ嬢以外の仕事で食って行く日、なぁ。
それは、「うわそんな年までオレもつかしら」と大いに不安であるけど、子供達の就学期間が終了しないと、やっぱりたどり着くのは難しいかねぇって感じで。
それでも、カタギ仕事もしてみている経験から感じるに、いよいよ洒落にならない貧乏と病気のふたつ持ちするよりは、このある程度ちゃらんぽらんな姿勢で(それは仕事の正味ではなく、営業戦略において、であるけど。今やこの業界では仕事の正味より営業戦略の方が稼ぐには重要になってしまったのです。とほほ)今の仕事を続けながら病人やってる方が、もう圧倒的に楽ですわな。


この頃、「もしかして病み切った?」と自分では感じるんだけど、体調そんなにひどいように感じられなくても数値的には炎症反応がガコッと上がったりする時もあるんで、まぁ、やっぱり病み切ってないんだわな。実際のところは。
(すいません今日仕事場で膠原病複数持ちの同僚を励ましている時に、そのへんで小嘘をつきました…。白い嘘)
…はー。
まぁ、まだ向こう5年くらいは、母がまたガン再発とかなければ(自分も爆弾持ちだけど身内もこれだ(苦笑))、結論先送りにしたまま行けるんじゃないかと、楽観的になれば、まぁ、言えるんだけど。


…老人介護しながら静岡市はたまた一番近くて川崎まで通院ってのは、難しそうだよなぁ。
…しかし、このへんもどっかでどうするか考えておかないと、なんとかなるさ主義でいたら、介護者被介護者ともだおれの危機、になるわなぁ。