動物は無駄な気遣いと作り笑いをしないので助かる

ちょっと前まで「ああ、アウシュビッツの囚人の第2段階まで来ちゃってるよオレ」という不味い状態だったのだが、そしてそれはむしろ指名を取れる売春婦になるには都合がいい部分もあったのだが、猫が来て、オレは陥りかけていた無感動から助けられた。
うちの子供達には申し訳ないが、人間は駄目なんだよな。養い手であるオレにかかる責任がバカでかすぎて、悲しい事にそれゆえに子供達は注意欠陥の娘さんですらオレを気遣ったり頑張って笑ったりするから。
んで、こっちもそれが見えちゃうから、またこっちも無理して笑うんだよな。
形だけでも笑えば免疫活性化されますって、前にも書いたけど、あれ、大嘘。欺瞞は心身を蝕みます。


ただ、こういう状況下の土壇場に於いては感受性が鈍目で身体が頑強な人間より、むしろ精神が無駄に繊細で身体も弱いくらいの人間の方が「しぶとさ」を発揮するという「夜と霧」の教えは、まあ間違いないねと。
そのせいかな。健康には自信がありますタイプの風俗嬢より、ちょっと喘息があったり膠原病のひとつも持ってるくらいの風俗嬢の方が、真面目に仕事もして長続きしたりする。…この仕事で長続きが世間的にいいこととされているかどうかはさておき。


オレの現実は結局猫とくいもので満たされ、内面は死んだ人間との対話で満たされている始末で。宗教じみた「自分の内面に取り込まれた何者かの存在」もまたアウシュビッツ生活でのサバイバルには有効って、それも本当っすねぇ。
なんだ、やっぱり必要なんじゃん、神。
百万遍それを捨てようとしても、結局オレは最後まで風俗バイト(十代最後の年にヘルス嬢やってた)の件を話せずにいた彼に帰依して生きて行くしかないんだろうなぁ。
ああ、ここまで彼が内面化されちゃってるから、あとは猫くらいでよくなっちゃってんのかもな。
返答はなくても、ずっと話しかけてんだよな。さっき煙草買いに出た時に空を見たら星が奇麗で、そのことを話しかけるのもまずは死んだ人間に、って始末なんだが。


そして猫は、オレの感情がどこにあっても「撫でてもらえば嬉しい」し、「おいしい餌が出れば嬉しい」のだよねぇ。
ああ、こいつも家から出してもらえない家猫であっても自然に属するもので、オレにおかまいなしの自然はかくも美しいんだねぇと、オレは安堵してみたりする。