「やめられない」が「わからない」ということ

たとえば他人様のギャンブル依存に関して、オレはその人がとにかくそれを「やめられない」という状態であるのは認識できるけど、その「やめられない」がどうしてなのかは分からない、と、これはそういう「分からない」で。


まだパチンコ打っていた頃ふと「ああ、オレにはこれってストレス解消よりむしろストレスフルだな」と思った。オレのパチンコと来たらまぁつまらないもので、とりあえず海専門。千円か2千円突っ込んで感触が悪かったらさっさと台移動。で、出ても5、6箱積んだあたりであの店内の喧しさにうんざりしてリタイア。
軍資金と来たら稼げていた頃で2万円、最後は3千円しか財布に入れて行かなかった始末。
これだと、大儲けもしないけど損もしなかった。当然、感情の大きな上下などあろうはずもなく。
で、パチンコやめてもうほとんど3年か。もう2度と打たないんだろうな。固い決意でもなんでもなく、オレはあれには興味が持てないのだよな。


まして、あれで人生を不意にしたあるいは不意にしかかった人間、身内含めて複数名見てるしな。ここはDNA以上に学習がきいちゃってるというか。
ギャンブルで幸福になった人間は、マルチ商法で儲けて自己実現した人間と同じくらい見ないわなぁ、とか思ってる次第。