生活というもののやり方に決定的な違いがあるとしか

この頃いよいよそれは思うんだけど。
「どうして客という人種の中にはしばしば、オレが控え室や家にいる時間はとてつもなく無為に過ごしていて、暇が有り余っていると想定しているとしかオレには受け止められないのがいるんだろうか」と、不思議でしょうがない。
これはつまり、やっぱり奴等が「家では何もしないでいる。何もしないでも生きて行ける」という日々を過ごしているということだよなぁ。


暇を埋めるための趣味なんていう贅沢は、もとよりオレには持てないっていうのになぁ。