世に依存の種はつきないが

オレはどうして摂食障害というものとはまったく縁のないまま来ているのか、結構コントロールジャンキーの気が強いのになぁとはたと考えた。


まあ摂食障害ってのは、自分の身体にまつわることがらの中で一番コントロールしやすい、それこそ体内でフォアグラを作らされているガチョウのごとく口にシリンジの類い突っ込まれて強制給餌されているとか、はたまた親などからネグレクトされていて食べ物を与えられていないとか、そういうとてつもなく極端な状態にいる人でなければ拒食もやれるし、ちょっと金はかかるが過食だってやれる、そういうものだろう。


そこにオレがはまらなかったのは、昔から「痩せたらもっと奇麗になるのに、可愛いのに」と言われ続けてそれにむかつき続けた事にもよるのかも知れない。
他の少女達がどうしたら女子として可愛がられ認められるかを考え創意工夫し実践している時期に、「普通の日常服の売り場で市販の服が入る程度なら個体差よ個体差、ただ決定的にだらしない身体付きになっちゃ駄目よ」と言うヲネエと一緒に飯を食っていたからかも知れない。
そして、ちょっと距離がある他人が気軽に言う「もうちょっと痩せたらすごくいいのに」にオレは違和感を感じ続けていた。
「人から可愛いと思われ奇麗だと言われる事にオレ自身は本当に喜べるんだろうか。それはオレの中で価値のある事だろうか」と大いに疑問だった。


それがこんな仕事をしているのはもう、皮肉を通り越してギャグだと思うが。
まあそれはともかく。
「そんなところがコントロールできて達成感とやらを味わってもな。見た目美しく痩せても、行き過ぎて異様なところまで行っても、それが何だって言うんだろうな。見た目美しくなったところで留められても、それって最終的には、オレの利益じゃないよな。オレの幸福じゃないよな。オレの価値観じゃないところの価値観にさらに力を与えるとか、つまんない男にさらに言い寄られやすくなるとか、どっちかって言ったらそういうオレにとってはあんまり面白くないところを強くしたり喜ばせたりするだけなんだよな」と。


で、過食ってのはまだやったことはないし、選手権に出られるほどの大食いでもないが、オレは今日もしっかりメシを食っていた、と。


しかし、オレはそんなに「かわいい」にも「奇麗」にも、もはや「人間が自分自身の身体を意志的にコントロールしようとすること」にすらも、価値を見出せないでいるのかね。そうみたいだなぁ。
だってなぁ。どうしたってそれら全部、わかりやすく無理があるじゃんねぇ。