本当にそれは、どうしてなんだろうか

上を書いていて思い出した。

数少ない友人I嬢が、かつて彼女がいた「イメージはとても華やかそうでいいお給料がもらえそうな」業界に憧れている同僚女性にうんざりしているというメールをくれた。
すまんI嬢、そのまま引用させていただく。
「あまりにステロタイプなので困ったものです。人はステロタイプな行動に疑問を持たないのでしょうか。持たないとしたら、なぜ我々は持つのでしょうか」


ああ、…本当にねぇ。
やる側もそれに困らされる側も、どうも大半がそうみたいなんだよなぁ。
本当に、何なんだろうねぇこれは。
困らされる側も、「こいつうっとおしいな」と思っても、そいつのどこがうっとおしいかということは考えないでいられるらしいんだよな。「うっとおしい」と感じたところで終了。停止。


一言で言えばたぶん、「どうして自分はこれをうっとおしいか」と考える、いやそのまま瞬時に考えてしまう人間は「無駄に内省的」ってことなんであろうけど。
じゃあその内省はどこから生じたのか、って話だよな。いつもオレとかI嬢が悶々と考えてしまうのは。内省にたどり着く前に停止できる人達と、停止できない者の違いって、いったい本当に何なんだろうねえ。