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長い長いさんぽ ビームコミックス

長い長いさんぽ ビームコミックス

多分どーぶつ本人というか、本犬やら本猫やら本フェレやら本ハムには、人間からの過剰な思い入れというのはうっとおしいんだろうなと思う。
しかし、人間というのはそういう業の深い事をせずにはいられない動物なので許して欲しい、と思う。


これは、作者が長年をともに過ごして猫の老いを見て、見送り、次の猫を迎えるまでの話。やはり同僚さんが貸してくれた。
猫の最期を看取れなかった悲嘆も、いよいよ見送りに行く日の作者とそのおつれあいと猫の「長い長いさんぽ」も、その後もかなり常軌を逸しているのだが、この作者はそれが常軌を逸してる事を知りつつもそうせずにはいられなかった自分を「作品」として呈示している。
それが正しい事なのかどうかはともかく、動物を愛してしまった事があって失った事もある人なら、同じ事はしなくても、それを「せずにはいられない」気持ちは分かってしまうだろう。


この人の絵は「ね〜ね〜」という幼児雑誌*1に連載されていた「どんぐり幼稚園」で初めて見たのかな。
そうか、あの猫はこの猫だったんだな。


うちでは公園前で助けを求めて来た老猫「サビ」さん(仮名)があっという間に逝ってしまってもう1ヶ月半近くが経った。
うちには今はまだ宙ぶらりんな一時保護という状態でお預かりしている(そして、この猫をうちに連れて来たところの事情が許すならこのままずっとうちの猫になってもらっていいや、と思っている)「とらちゃん」(仮名)がいるのだが、猫白血病キャリアではあるものの今は元気そのものなとらちゃんを見つつ、まだ時折「サビ」さんの事を思い出す。


最期のほんの一瞬をうちで過ごした「サビ」さんは、多少ボケてはいたが、賢い子が多いと言われるサビ猫らしくいい気性の猫だった。
長年をともにしてきた猫に対する思い入れとはまた違うのだが、オレはよく彼女に「君の事を何も知らないようなところで最期を送らせて悪かったねぇ」と思い、「若い頃の君はどんな猫だったんだろうねぇ」と思う。
思い出がほとんどないだけ、そのようなところで最期を向かえた彼女の事は考えるとせつない。


今でも、「サビ」さんの遺骨はうちにあっていいのだろうかと思う。
もし彼女を捨てたにしろ、彼女が飛び出したにしろ、他にいろいろ経緯があるにしろ、元気なときの「サビ」さんの家に彼女を帰らせる事ができるなら、帰らせたい。
そして、とらちゃんに対しては、オレが一番君の事をよく知る人になろうと思っているので、うちで君の猫生をまっとうしたまい、と。
言葉は通じないが、幸いとらちゃんはとても意思表示が上手い。

*1:この括りに入れていいのかなこれ。うるまでるびが執筆陣にいる幼児雑誌ってさぁ…。うちの子供達はすごく好きだったけどねこの雑誌