12年ぶりの三原順

娘の私立受験の折に、受験校近くの古本屋で、文庫ではなく単行本セット売りしているのを見つけて、しかしその時はたかが2千円を出す度胸がなく、見送り。
「次にこの地に来るまで、オレに買われる気があれば売れずにいろ」と呪術めいた事を思っていたら、3ヶ月の時を経て売れずにいた。で、7巻セットで購入。


リアルタイムでこれを読んでいたとき、オレには現実にアーニィがいて、単行本になったそれをオレのアーニィがいなくなったあと1度だけ猛烈に読み返して、夜逃げする時に結婚生活を送っていた場所に残して来た。
最後に読み返してから16年近く経って、ようやく読み返す気になった。


最終巻は、1990年の年末に初版発行になっている。
それは、息子が生まれて彼の首も据わった頃で、オカムラが「家庭教師」をリリースしてから2ヶ月くらい経っていて、年末あたりのオレは、とにかくそうすればひたすら平穏に誰からも子供を取り上げられずに育てられると思って結婚したのに、なんだかもうわけもわからずそこにいるのが合わなくて合わなくて、困惑していた。


現在のオレは、おそろしくナイーヴな自分を変えられないまま、まだそこそこナイーヴな事を言いながら、でもそこそこマッチョになって我が身と子供を抱えて喰わせている。
で、まだ貪るように三原順を読むのだ。


ついでに、やはり結婚生活をやっていた家に置いて来た、千趣会の「旬クッキング」をあるだけまとめ買いしてくるあたり、ああ、オレ随分当時からするといろんなことに折り合いがついたなぁ、と感心。
今はむしろ、このひっさげてる「生活」が自分の中心になっていて、それは多分ほぼ確実に、ここから当面の自分をどこにも行かせず縛り付けているけど、まともな意味でのアンカーにもなっているのだった。
世間並みアンカーがきちんとアンカーになっている今の自分には、いまだに変な感じもする。