落ち着いてるから出ないのか、出ないから落ち着いてるのか

なんにせよ、去年のとらちゃん(先代飼い猫)の旅立ちは悲しかったけれど、納得していたところが大きかったから強い悲嘆を引きずる事もなかったし、その他、いろいろ起きてるには起きてるんだけど、強くて継続するようなショック、悲しみ、怒り、怯えの類いが、このところ遠い。


自分の「処し方」が上手くなったとはどうにも思えないのに。
ただ、やむおえなくそうなってるところが大きいんだけど、一緒に暮らしている家族、まぁ子供達と猫達だな、と、それらとの生活の事以外、今はかなり、遠くにある感じが。
この状態じたいには、文句もない、というか、快適。


外に対して、いよいよ「関わりたくても関わりたくなくても、とにかく関われねぇ」といういっぱいいっぱいぷりで、この精神的引きこもりにより、今までにない安定が。薬は最低限飲んでるけど。まだがくんと来る時は来るけど、以前の比じゃない。
自分がやるべき事をなんとかやって、その上でまたもうちょっと何かエクステンドできないかなーと模様眺めしてみるんだけど、結局毎度「ああ、やっぱり無理がある」と判断して再開せず、着手せず。


どちみち、完全な安定はないみたいだからまたやってみたっていいんじゃん? と思ってみたり、「いや、もう感情が上にでも下にでもブレるファクターは増やしたくないんだよ」と思ってみたりだが、やっぱり強いのは後者の気分。


クラミジア感染ごときでも、表面の感情には大きなダメージは感じられないのに、「ありゃ、眠れねえや」くらいにはなってるもんなぁ。
でも、表面まで動揺しないのは、以前とまったく違うんだよな。深刻に捉えてないというのとは違う感じで。