新年度の教育費算段をしながら首を傾げる

明日は桃の節句なので、いわゆる「追い込み」式の五目ちらしの具を煮上げている最中である。
米3合で作るのも1升で作るのも手間は対してかわらん、という思想でもって、こいつは完成したら、明日重箱に詰めて店に持って行ってふるまう。


行事食を家庭でやるのは、食育だそうで。
ああ、気持ち悪い。そんなわけのわからない流行は家の中に持ち込みたくないものだ。うちは昔から3月3日はちらし寿司と決まってるからやってんだ。お上がそんなもん推奨するな。
だいたい、だ。働く母親が比較的早く帰れた日に夕飯ちゃっちゃと終わらせて、ちょっと一休みして仕込み始めたって、すでに日が変わってんだぞ。すし太郎だの桃屋の瓶詰めだのに耐えられない人間にはもれなくこういう手間がついて回るんだ。つまり、コンビニだの総菜屋の味には馴染めないような「食育」を施された人間は、無限大に食への手間がかかるわけだ。役人が親、いいや母親にやらせようとしている事はこういうことだ。全国のかーちゃんを過労で殺す気か。
なのに、どうしてオレはオレが一番褒められたくないような筋から褒められてしまうような真似をやり続けてしまうのだろうか。(答・うちの子供等がやっぱり喜ぶ)


そんなことにまた怒りつつ、さて娘さんの公立高校入学準備のための費用が15万円以上20万円未満、授業料は10回分納として、そこに新年度から通信添削教材会社をよりお高いがより定評があるところに乗り換えてさぁ幾らかかる、などと金の算段をしている夜更けである。
幸い今年度は進級できたが、息子さんもまた年度末に来年度1年分の学費の請求が一括でやって来るので、なんのかんのでやはり40万近い出費がほぼいちどきにやってくる次第。払うよ。もちろん払えるから払うけどね。



しかし本当にまぁ、この国で子供を育てるっていうのはいったい、どういうことになっておるのか。
はいはい、自己責任ですから、実際このように生んだ人がきっちり責任被って、全体監修と金の算段と支払いをやってますよ。やってるんだから喚く権利があろうよ。


アホらしくてアホらしくて、本当に「なにがなんでも清貧なんかに甘んじてやるものか」と思う。
そして、この意地がまた、オレが一番褒められたくないような筋からとんちんかんなお褒めの言葉をいただいてしまうという、悪循環につながっていくわけだが。


しかし、我が子達が「何かを見ても、それがどういうことかさっぱり分からない」という不幸に陥るのを手をこまねいて見ている訳にも行くまい。
ああ、でも本当に本当に、この国の教育は親の資力に甘んじ過ぎている。それをよしと思っていないのに、自分の将来はさておいて教育費にがんごんと金を突っ込み続けている自分の現状と、それをさせているところには、腹が立ってしょうがない。