それが大半の家庭では飾り物だったということに気付いたのは

十代の半ばあたりだったか。
決定的な認識は配偶者の実家の居間に置かれた本棚を見た時にやって来た。
実家ではとりあえず、それらの全部は読まれていたのだが。
そしてオレは、かつて高校時代に「高いなぁ、千円」と思いつつ購読していた「AD」誌(アーキテクチュラル・ダイジェスト)の日本版に掲載されていた各界有名人の書斎の写真を思い出しもしたのだった。「…ああ、あれもほとんどは、飾りだったんだな」と。


今回、母の入院により実家で留守番をする事になり、田舎の広い家というのは昼間は次々になにやかやとやる事があるのだが、夜になるといっぺんにやる事がなくなってしまい、その退屈のつれづれをオレはそれらで慰めていたりした。
母の桑原武夫全集やらツヴァイクの選集なんかも久々に読んでいて、ああ、オレがよりによって社会学科なんつうところに行ってしまったのはこのへんに起因してる、と今更思ってみたりして。


そこだけは有り難い事に、妙に趣味性と文化レベルの高い家庭に生まれたもんだから、学齢期のオレはいつも自分が属する集団の中で寝っ転がっていても上位3分の1に入っていられる程度の成績は保っていた。
まぁ、本当に大学受験まで寝っ転がっていてなんとかなってしまったというのは、オレの現状に相当ろくでもない影響を出してるよなといつもいつも思う。
いやー、寝っ転がっていたら上位3分の1になんて決して入れない、いや寝っ転がっていなくてもなかなかそんなところまでは行けないソープ嬢の仕事に就いてみて、良かったよホント。人生1度はこういうことがないと(笑)


いつもの癇癪の発作を起こした時に、幼児だったオレを階段から突き落として左目に失明が危惧された程の角膜潰瘍を作ってくれた父親に対しては、その他もろもろの彼がオレに対して振るった暴力や罵詈雑言ごと彼が死んだ現在でも許さないでいるし、好きになれないでいるが、オレが育った家庭がある程度の文化レベルを持ったものであったことについては、母に対しても父に対しても感謝はしている。
あの家庭に生まれ育たなければ、オレは様々な物に対して「途方に暮れるほど何も分からないし、それに対するとっかかりの知識の欠片すらもない」という状況を、ここまでの人生の中で何度も経験していたのではないかと思う。


母が現在ボランティアに行っている先に、オレよりずいぶん年下の高校の後輩が来ているそうなのだけど、「腐っても田舎の公立普通校、って、みんな好きですわよねぇ」と母の前でもさんざんオレが自ら揶揄して来たそこを卒業した事が、今世の中に不適応を起こしてにっちもさっちも行かなくなっているその青年の唯一の矜持なんだそうな。
オレはそれを聞いた時に、母の前で言葉もなくただものすごい顔をしてしまったのだが、母もまた、ただ苦笑いしていた。「その子はね、あの高校に入るために塾に行ったんだって…」とは付け加えていたが。


「高校に塾に行ってまで入るくらいなら、格下とされる高校でのんびりやってる方がましだわい」というのが、勉強というものに対するオレの姿勢であった。つい最近まで。
が、子供達がある程度大きくなって来た頃、はたと気が付いた。
「あれは、オレが先天的に持っていた資質だけで取っていた成績ではなかった、かもなぁ…」
そう思った頃にはすでに父は死んでいたが、とりあえず、感謝だけはするということにした。遅まきながら。
そして、許せないものは許さなくてもいいだろうということにもした。


さて。
現在のところまで、オレはオレの力だけでは、自分の子供達に百科事典も文学全集も美術全集も買ってやれないでいる。
で、子供達は、配偶者の実家であるところの「おじいちゃんおばあちゃんの家」のそれはとても取り出しにくい状態になっているので(家族の写真や旅の土産物が手前にびっしりと置かれてしまっていて)、オレの実家に滞在している時にそれらを手に取るのだった。
まぁ、とりあえず、それらを手に取り読んで眺めて楽しめる程度の文化レベルまでは、オレもなんとか我が子達に伝承できたらしい。手元にそれらを揃える事はかなわなかったが、現状をよしとしよう。


そして。
年収2百万そこそこの平均的母子世帯の年収でもって家庭を営んでいて、かつてのオレと同じく自宅学習時間まるっきりゼロの娘が学年で上位5分の1以内の成績を現状のごとく取れていたか、と問われたら、そりゃ無理に決まっている、と答える。
オレはこと勉強に関しては、いまだに「点数と順位のためだけにする努力」には意味がないと思い続けている。もっと知りたい事があればそれを好き勝手に調べればいいのだし、自分だけで先に進めてしまえる好きな教科があれば、好きなだけ進めればよかろう。
しかし、それをやたらな苦学にしないためには、それ相当に金のかかった「家庭に於ける文化的素養」ってのが必須だ。そしてこれは、メシ代を削ってやってしまったら駄目なのだ。余裕を持ってやらないと、何故かしっかりとは身に付かないのだ。


そしてとりあえず、オレの今のこの仕事と収入が「ガリガリやらないで、ほぼ素養だけでもって寝っ転がったままある程度のところへ行ける子供」を作れるというなら、もうちょっとこの仕事を続けてもいい気がしている。
どうせ世に出たら、もう寝っ転がり続けていられなくなるのだ。だから今のうちせいぜいだらだらしておけ、と、オレは子供達にいつも言う。
でも、いつか大人と言われる年齢になってしまったとき、今蓄えてるエネルギーをしっかり使えよ、ともいつも言っている。


「好き」の方向がはっきりすれば1人でカンテラ掲げてどこまでも掘り進んで行くタイプの娘については、多少自閉スペクトラムのハンデがあっても「ああこりゃ大丈夫だわ」と思っているが、変なプライドやら生来の神経質さ臆病さが災いして「世間レベルではもはや『おおむね理解しているとされる到達度』にある」のに先に進めず立ちすくんでしまう息子に対しては、この頃はさすがに「ちっとは前進する勇気のためにエネルギー使ってみろ」とケツを蹴ってみたりする今日この頃。


しかし、こいつらどっちも、この先はどうにでもなるかなとはこの頃は思う。