機械的でも無味乾燥でもいけるにゃいけるが

アルコール依存症患者はどれほど断酒を続けていても、一口飲酒してしまったら「ふりだしにもどる」なのだと聞いた事があるが。
(で、腸をやられたら途端に自制がかかったあたり、朝から飲むとか仕事前から飲むとか前はやってたけど、オレ依存と酒好きのボーダーにも到達してなかったんだろうなぁ、結局。ちなみにオレは胸郭が平均的男性並みにでかく、その中におさまっている肝臓含めた内臓のサイズも男性並みに「でかい」のだそうで。前にレントゲン撮ったときの医師の解説より。でかい、ということは、当然多少はアルコール分解も早かったり許容量がでかかったりするのでしょうな)


セックス依存気味、いやはっきり言ってしまえばあれは依存そのものだっただろうというかつてのご乱行もいささか遠くなって来た今日この頃。
しかし、仕事柄、それはどうしてもオレに取っては今仕事でしかやりようがないんだけど、一応セックスはしてるわけだ。1年のうち軽く二百ン十日くらいは。
勤勉で盆とゴールデンウィークと年末の会社そのものが休みの時期くらいにしか仕事を休まないサラリーマンより、オレの方がさらに仕事場に出ておりましてよ。
なんせ、配偶者が真面目に会社に行けてた頃よりさらに30日以上プラスで働いてるからなオレ。
いや、これだけ真面目に働き詰めで働ける健康状態、それだけでも素晴らしいけどね。


で、その「仕事としてのセックス」にはいささかうんざりはしているものの、ちょっと前ほど「うわー…」という気分で仕事をしているわけでもない。
が、もうエロ画像見ようがエロ小説読もうがにっちもさっちも興奮できない現状、いよいよ気持ちいいふりの演出はわざとらしくなる。が、実際に気持ちよくなるのはもっと困難だ。
それでも、まるで自分が好みではないタイプの風俗嬢に当たってしまった客になったかの如く、比較的お上手あるいは合うお客相手なら必死で頑張ればいけないこともない。いくことがひどく肉体的精神的苦痛をともなうわけでもない。
が、なんというかまぁ、「ほへー」という感じで疲れる。


その割に、ありとあらゆる生理的嫌悪感と言うかその基準は弱まってしまい、相手がよっぽど耐え難く臭いとか痛いとかいうんじゃなければ、仕事に於いて「逃げ腰」にはならなくなってもいる。
なんだろうなぁ、これはなぁ。
いや、分かっている。自分にとってどんどこどんどこ、セックスが「どーでもいいもの」になっているのだ。もはや好きか嫌いかを論じるあたりではないくらい、どーでもいいものになってきている。
精神的にはともかく、肉体的には決定的にインポではないんだけど。
後悔や後味の悪さもない代わりに、安堵感も充足感もないんだよな。そのことをごく表面的には「ああ、まだ三十路半ばというのにいかんことだ」と思うけど、実際のところはセックスが今自分にとってそういうものであることすら、どうでもいいっつうか。


先日初見のフリー客に「オナニーとかするんでしょ?」と訊かれて、何年前にそれをしたのか真面目に考え込んでしまったら、相手もこんな質問をする割には「この考え込みようとこいつの今の生活の中でのセックスの欠落はリアルだ」と気が付いてしまったようで、慌てて「そうだよねこういう仕事してたら仕事だけでもういいんだよね」とフォローに回り出したのには、笑っていいのかどうか躊躇してしまった。


いやしかし、最後にオナニーしたのって本当に、何年前なんだ?
最後は結構無理矢理いけるかどうか試してみて、どうにもつまんなくてうんざりして無理矢理眠ったりしたような記憶がある。
今はまぁ、潤滑ゼリーでも使ってやればいけるにはいけるだろうけど、そも「いったところでなぁ、そもその気持ち良さは今どうにも欲しないからなぁ…」ってところなので、わざわざやらない。