根治しないから難病。簡単に死なないから難病

「死ぬのはお気楽、生きて行くのは恐ろしい」とAnnie Lennox姐さんも歌っていたけど、自分にかかる責任なんつうものを全部拒絶するなら、まったくその通り。


オレは残念ながら音楽ジャンルとして全く興味ないところなんだけど、EXILEのダンサーの兄ちゃんが同じベーチェット病だそうで。
オレは幸いにして、虹彩の炎症はごくわずかで、あんまり進行してないまま今はとりあえず「緩解」という、病気は完治してないけど(っていうか、そも完治が今んとこ存在しない病気だから「難病」)、症状がずっと出ているような悪い状態ではないところにいる。


それでも、やっぱりちょっと疲れると熱は上がるし(「あったかいね〜、気持ちいい」じゃねぇよ客ども。下手したら38度の発熱中だよオレは(苦笑))、関節は不意に痛くなるし(昨日の夜から両膝、特に右膝が結構辛いっす。階段を下りるときが一番つらい。素敵ですぜ一足先に加齢体験っぽくて)、陰部潰瘍は出てるし。
それでも、オレのメイン症状は腸管にあって、今は1日20回以上の下痢しかもしばしば血便あるいは下血だけなんつう一番たまらん状態とはおさらばしているので、これでもコンディションは悪くないのだ。


しかし本当に、生きて行けちゃうんだよなぁ。難病なんつうもんがあっても。
EXILEのダンサー兄ちゃんは「闘う」って言葉を使っていたけど、闘ってるって言うよりは、もうこの病気って言うのは好き勝手な時に出てきて人をタコ殴りにするだけしてまた好きなように引っ込んで行く感じで、その時にはもう、好きに殴られてるしかない感じ。オレにとっては。


ベーチェット病とは闘おうとした時もあったんだけど、そうすると、むしろその両者の消耗戦って無駄に長引くんだよね。ならばもう、好きに殴らせておいた方がその時間は短いじゃないかと。まるでDV夫の妻みたいな事を言ってるなオレ。
だけど、結局人間が1人でなんらかの理不尽と添い続けるしかなくなったとなったら、こうやっていくしかない。離れられるならともかく、どうやっても離れようがない理不尽に対して、他に自分をもっと酷く消耗しないでやれるやりようがあるか? なかろうよ。
どう言ったって、病気なんてのは理不尽であり不条理。まして遺伝性もないらしい、生活習慣病でもない、この「特定疾患」なんざ。


オレはねぇ、同病の患者さんに「一緒に頑張りましょう」と言ってもらっても、どうもますますげんなりして励まされませんよ、すまないんだが。うん。
オレはもう頑張って闘いたくないし、ただ普通に日常を暮らしたいだけなんだもん。病気が自分のところにやってきた意味を考えて崇高に生きるなんて無理無理。
ただ遠い目になって「とりあえず、そう簡単には死なないし死ねないんだよねぇ。これが、結構活動だってできるときはできちゃうんだよねぇうん」とはまた繰り返してしまいますが。
しかし、それってどうなのかね。救いなのかね本当にさ。


追記・オレもいよいよこの頃春〜夏場の通勤・外出には「度入りオシャレ眼鏡」を欠かしませんが、スキー場の雪原では決してゴーグルを外しませんが、「解夏」・「愛し君へ」という同じさだまさし原作ものベーチェット病ドラマを見ていて気になったのは「お前等、特に目症状が出てる患者なんだから屋外ではサングラス、せめてUV加工眼鏡くらいかけとけっ!」って一点ばかり…。
失明までのやたらな進行の早さは、まぁフィクションなんだからしょうがないってところで許すが。
朝のワイドショーでEXILEの兄ちゃんがカメラの前で病気告白してる時も「おーい、その撮影ライトの前で裸眼はいかんだろう裸眼は」ってのばっかりが気になってしまった。
虹彩炎の進行には光も悪さするのです。いかにも理解した風な報道するなら、メディア側ももうちょっと配慮していいんじゃないのかね。
(おーい、はてなキーワードぉ、ベーチェット病患者は今はもうそんなに患者の男女比の差はないってオレは聞いてるぞー。男性の方がいくらか症状が重篤になりやすい、っていうのなら聞いてるけど)