「大人」とされる人々がさしあたって対面で感情を露にしてはならないのは

皆がそれをやってしまうと、人間が人間の社会というものを築くにあたって設定した「前提」が崩れてしまうからですね。
と、今日も声高に怨念を噴き上げていた同僚への解答をここで。ボク等は怒るにしても笑うにしても、とりあえず先進国あたりではもう歯を剥き出しにするのも礼を失した行動ということになっているようです。
ボク等の社会は大小様々な「抑制」によって出来上がっています。人間を人間たらしめるもの、それが抑制でございます。で、ガキはまだ抑制があちこちで利いてないからガキの領分で不自由する、と。(いや、もしかたらこの国ではそんなことないかもしんないんだけど)
ボク等「大人」とされるあたりも、抑制が利いてない人は様々な社会的不利益をこうむるのが摂理のようですが、それでもよろしければ抑制とっぱらってください、ってことでひとつ。


まぁ、結局あれだよなぁ。自分の安心感を損なわれたくないのであれば、他人の安心感を損なうな、って話で、それは多分ものすごく原始的なルールなんであろうなぁ。
ただ、…ただそれは世の中の皆様大半は善意でもって、自主的に行ってくれるであろうとオレはまだ世間に期待しちゃってるのだよね。正直、そうでなかったら社会に暮らして行く事なんかできませんがなもう恐ろしくて恐ろしくて。
でも、善意とか自主性をどう育てるかって事を考える前に、安心感を損なった奴に与えるペナルティを重罰化して安心感を強化しましょうって方向に世の中は進んでるらしくて、いや、それは相互不信スパイラルしか招かないんでは…、とおめでたいオレは首を傾げているのでありました。


随分前、息子にそのへんつらつらと話をして、「世の中の現状はこんななんだけど、それでもオレ等は世の中を信じてないとオレ等も信じるにたるものではない世の中を作る事に加担する羽目になる」なんて言ったよなぁ。