オレには「おもてなし」がわかりません

世間的にはバリバリのキャリア女子ということになるのだろうか、友人I嬢。
(税込み年収600万円越えてたら「えぐぜくちぶ」名乗っていいと思うよオレは)


そんな彼女が最近ふとしたはずみで「おにいちゃんのいる店」に行き、先日もなりゆきでそういう店で大枚はたくに至ったのだが。
しかし、彼女が大枚はたいた途端に担当ホスト君は大間違い勘違いの営業を始めてしまった、とのこと。
彼女にとっては、「おにいちゃんのいる店」でやくたいもない話でもしてたくさん若い男の子侍らせてがんがん酒飲んでどわっと盛り上がるというささやかな(いや、本人はそういってるけどささやかじゃないささやかじゃない。使った額が)、打ち上げ花火を上げる事そのものが娯楽になっていて、担当のおにいちゃんへの思い入れ、つまり疑似恋愛のようなものがあった訳じゃないのに、そこんところを担当ホスト君はどうも勘違いした模様。
大枚使った途端に「食事に行きましょう」と言われても、喜ばない女も確実にいるんだよ、ホスト君。
その金は彼女にとって徹底的に「自分の楽しみのために自分で出した金」であって、君のためにという気持ちが添えられたものじゃないんだよ。
店を一歩出たなら、彼女は君に余計な時間取られたくないし、メシだ何だに余計な金も出したくないんだよ。そこに彼女の娯楽はないんだから。なんで分からないんだろうか。


そんな話を聞いているとふと思い出したが、男ってしばしば異性相手どころか同性相手でも、相手をナメ腐った「おもてなし」をするのがいるよなぁ、なんて。相手の有り様は全く関係ないっていうか、見てないっつうか。
多分I嬢もオレも「営業」絡みの仕事をしながらずっと分からないままなんだろうけど、どう考えても見え透いている「過剰な営業サービスとかお世辞」((C)I嬢)というもの、それを評価する側は、いったいどういうところでそれを納得して受け取っているのか。オレ等自分がそれを出されたら気持ち悪さバリバリでたまらんから、よう人にそんなもん差し出せない。

なんていうのか、世間はそういう「形式」を相手が差し出したということ、そういう努力に対して評価を出してるのか、それとも、まず信じられないが、そういうものを大多数の皆さんは真面目に楽しく気持ちよく受け取る事ができてしまうのか。
幾ら何でも世の中そんなにアレな人々ばっかりで出来ているようには見えないので(頼むからそういうことにさせてくれ)、オレはやっぱりそういうのって「形式」を差し出して来た事をとりあえず評価してあげましょうというオトナな態度はたまた形式を受け取る形式を、「まともにカイシャに勤めているような大人社会に属する皆さん」は身につける事が出来ているのだと思いたい。まだしもそっちの方がいい。


しかし、客から日々「なんでそこまで勝手に夢が見られる? 冗談とか形式じゃなくて? うわどうやら大真面目だこのドリーマーの夢は。どうしてこういうことになるんだ? そしてどうしてせめて客室の中だけで夢を完結させられないんだこいつらは」と辟易し戦くようなメールを送りつけられ、オレは「そんな予定調和絶対にあり得ないんだよ。あり得ないんだけど相手が期待って言うよりもう当然のように返って来るって思ってる反応ってこういうの?」と目眩しながら返信を打つ事になり、店は店でオレにすると「どうやったらそこまで客をバカにした宣伝打てるんだ。そしてどうして客のほとんどがそれに腹を立てないんだ?」と思うようなことをやらかしているのにそこそこの繁盛であるのを見るに、世の中の大半って、まさか、そういう事に本気でなっちゃってるのか?


こういう事を考える時、オレはとても世の中がおそろしくなります。
オレはごく限られたあたり(冠婚葬祭レベル)ではようやく「ベタベタな形式に形式を返す」って芸当が出来るようになってきたけど、いまだ仕事の領域ではそれができないんだよな。どうも、相手を小馬鹿にしてるようで。
しかし、「世の中が本気でそういうことになっちゃってる」なら、オレやI嬢が小馬鹿にされた感を持つような人あしらいは大半の人々には気持ちのよいものとして歓迎され続けるってことになる。
ああ、やっぱり世の中こわい。今すぐ泣き出したいくらいこわい。


こわいからまたクリントン親父でも聴こう。