忘却は幸いである事だ

もはや、客に傷つけられるという事はなくなってきた。
精神的に疲れるとか、一瞬途方に暮れるとか、うんざりするということはあるんだけど、そういう1日のだいたいのことは、家に帰り着く頃には忘れてしまえるようになってきた。


以前から、自分と近くないなと思うところや一方的にでも関心を寄せてないところはかなりどうでも良かったんだけど、この頃はどうも、本当にどうでもよくなってしまっているらしい。


まぁ、ひどいことだなこれは。
そのひどいことを受容して、オレは以前よりかなり楽でいられている。
家計簿をつけて、摘要欄を見ながら「これはより安い代替品に置き換えられるか切り捨てられるか」と考えるように、オレは幾らかの感受性を「これは、抱えているときつい」と判断して切り捨てているのかも知れない。


たまに「本当にあれは切り捨てて良かったのだろうか」と考えてみたりするのだけど、かろうじてあれこれを回しているような、この余裕のないところにそれを呼び戻すのは、やっぱり難しいのだ。
そして、やっぱりいずれ忘れてしまうのだろうか。


それで、またもうちょっと楽になるんだろうな。それでもって、「そんなのは貴方ではない」と旧知の誰かに言われても、もう今の時点で応えないんだろうな自分。
「それ言われちゃったらなぁ、切り捨てるしかなくなっちゃうもんなぁ。いや先に切り捨ててくれて良かったよ」くらいに思うんだろうなぁ。